アヴァベル 対人での僧侶さんの制限度

いつも僕のブログを読んでくださっている読者の皆様、こんにちは、こんばんは。

Wi-Fiが欲しいなぁと思ううっかりさんこと僧侶好きです。

さて、今回はタイトルにも書いてある通り、

僧侶さんが対人(主にタイマン)をする際の制限度


について少し公開していこうかと思いますです。



⚠注意⚠

  • 僧侶さんはいわゆるところの“支援職”のため、対人、特にタイマンにおいて回復に関して賛否両論あるのであくまでも僧侶さんはこのような度合いでやっているという大まかな目安だと思って読んでくださるとありがたいです。



制限度











“対等(慈愛)の型”

  • 回復スキルは使いません(ただし、状態異常を回復する“リフレッシュ”は使います)。
  • 多くのタイマンの場合、まずはここから始まります。
  • 僧侶さんは元々“枯らせてしまおう回避(逃走)術”戦法(いわゆる、アコライトさんのパッシブを利用したSPの持ちの良さを利用した戦法)なので、回復ができない分僧侶さん本来の戦法ではないため本気度は低めです。



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“慈悲無しの型”

  • 回復スキルをたくさん使います。 ガンガン使います。 寧(むし)ろ、普通に使います。
  • 前述の戦法を利用することがほぼ前提なので、あれやこれやと回復手段を探りつつ持久戦に持ち込みます(ほぼ本気です)。
  • 僧侶さん本来のスタイルではあるものの、あくまでも前述の型の次にこの型にしたり、何かしらの邪魔などが入らない限りは基本的にこの型から入ることはそうそうありません。
  • スキルリングの影響で、もうこの型を常時解放しようか悩み中です。



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“阿修羅の型”

  • 前述の“慈悲無しの型”のさらに制限をなくしたもので、回復に徹してとにかく相手を飽きさせつつイライラを募らせる戦法で、その隙を突くスタイルです。
  • 相手の心を乱すことで隙を作り、そこから更に段差があれば段差を利用したり、サポートの方が相手ならシステムの仕様を逆に利用するなど世間(?)から見た体裁を気にせずいわゆる“狡猾(こうかつ)な”戦法になります。
  • この型は相手にされたら自分が嫌なことと同じく、されたら嫌な戦法なので、この型で戦ったことは滅多にありません。



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“裏阿修羅の型”

  • まだまだ、準備はできていないのですが、現在は対人用の武器のみリンネの“人”を付けているのですが、それを盾・上半身・下半身と全身に付加し、完全に対人に特化した究極の型です。
  • 手段を選ばずにただ“勝つ”ことのみを優先するため、この型が解放されるとしたら僧侶さんの引退は近いというサインの表れかもしれません(ただ、僧侶さん自体“リンネ”があまり好きではないのでずっと付けない可能性もありますが)



……とりあえずはこのようなところです。

何度も言うようなのですが、

基本的には“慈愛の型”から入り、だんだん制限をなくし、僧侶さん本来の戦法となっていき本気になる


という段階の過程を大まかに書いてみました。

回復がないから本気じゃないのか、と思われてしまいそうですが、

やはり“対等”な(今のご時世では無理ですがあくまでも気持ちで)関係で純粋にタイマンでは戦いたい


というのが僧侶さんの考えであり本心です。

回復があれば装備さえあればまず削り切られてしまうことはないですし、何よりも与えたダメージが回復で相殺(そうさい)されてしまうというのは何とも言えない気持ちになる


のをサブの子で体感しているので、

あくまでも回復がないのは“気持ち”と“配慮”です。

深く追求すると批判がきてしまいそうなのですが、

その職本来の能力を縛らずに全力を出して戦うことも“純粋な”対人なのではないか


と僧侶さんは思うのです。

能力を縛ったところであくまでもそれは“縛りプレイ”なるもの。


つまるところ、相手が優位になるようなスキルや能力を制限してもらって戦ってもらっているようなものですので、

逃走戦法が本来のスタイルである僧侶さんから言わせて頂くとそんな感覚なのです。


もちろん、ハイドやらウィローやら応急手当やらを使うのは構いませんし、逆に使われればこちらも本気(回復スキル)を出すまでです。

さすがに回復“スキル”ではなく“HPを”回復するアイテムこと“HP回復薬”系を使われるとさすがの僧侶さんも引いてしまいますが、こんなことを言っている僧侶さんも僧侶さんですのでそれなりの対応をさせて頂きましょう。

“回復の専門職”というのがアコライトさん本来の役割であり特長なので、あとは余程の装備の差やら通信環境などステータスと描写の処理の開きでもない限りは油断でもしない限りは倒れてしまうこともないでしょう。

……さて、いろいろと書いてしまいました

あくまでも僧侶さんは対人においては“対等な条件下(リンネ、リフト、魂晶、属性、通信環境、サポートによる移動の補助、覚醒、職によっては隙のない攻撃による一方的な攻撃など様々な要素はありますが)”での、策略や戦法などを駆使した、“型”に囚われないその人個人の自由で純粋な戦い


というのが僧侶さんの求める“対人”であり、“環境”です。

MMO、ネットゲームの世界では

やり込んだ分だけ他人と差をつける=自分が強くなるのに比例して相手もどんどん強くなる、同じゲームをしているユーザーさんとの“やり込み”競争による、運営さんにとっては利益のある行為


という関係で成り立っているような気がするのです(素人知識と目線での、無知なりに考えた関係です)。

そして極めつけといってはあれなのですが、

課金の存在


によってユーザー間での格差が大きく開いてしまう、根本的な要因であるということは多くの課金のあるソーシャルゲームなるものに対して言えることなのではないでしょうか。

……なんて、偉そうな事を言っている僧侶さんも課金をしたことがあるので言える権利もないのですが、あくまでも僧侶さんの見解としての考えです。

一番は“課金の要素がなく、時間と努力が強さになる”ゲーム、いわゆる“家庭用ゲーム”などがその例なのですが、

  • 時間=やり込み
  • 努力=自己鍛練(PS(プレイヤースキル)かもしれません)


この2つが成り立つことで、“ゲームとしては”とりあえずどうにかなるのではないでしょうか。

代表的なジャンルのゲームだと“リズム”や“パズル”ゲーム系が、その2つの要素が完全に入っているものですね。

どちらも“覚え”や“頭脳”など“アクション”としては欠けるものの、

  • 覚え=覚えるまでに“やり込んだ”過程(時間)
  • 頭脳=考えるまでに“学んだ”知識・技術・経験

僧侶さんの偏見的な脳内世界では一般的に見ると少しずれているかもしれませんが、そう考えるとだいたいは辻褄(つじつま)が合うような気もしますです。

“アクション”のジャンルでいえば、

  • 時間=その“世界”にどれだけ存在し、適応したか(いわゆる“慣れ”)
  • 努力=レベル、操作技術、先読み、やり込み要素、クリア状況、装備(強化や改造など)、スキルや職業などの組み合わせからどのような攻略法を見つけるか、小技(裏技)などの発見(いわゆる“PS”、“経験”)

ゲームの種類によって内容は様々なのですが、“アクション”ともなると実に様々な要素が入ってくる上、人によってはその進歩状況が違い、ましてやネットの世界ともなると千差万別なるものでして。

……結論としては、

ネットの世界でもあくまでも“ゲーム”なのだからやり方や手段をどうこう言おうが言われようがそれで自分が楽しければそれでいいのではないか


ということです。

最悪、万が一多くのユーザーさんに嫌われてしまったとしてもそれはそれでその“キャラ”がそのようなイメージが付いただけであり、それが直接リアルの自分には影響しないのですから、考えようによっては優しいものではないでしょうか(そのキャラが“メイン”だと多くのゲームで不都合なことも多くなってしまうデメリットも背負うことになりますが)。

つまるところ、“ありのままの自分”、“こうでありたい自分”など、様々な“自分”やその“キャラ”になりきり、本気で“演じ”、自由気ままに“遊ぶ”ことができ、“できないことができる”というのが“ゲームとしての”醍醐味だと思いますです。

……ああ、いろいろと書きすぎて僧侶さんも何を書いているのかよく分からなくなってきてしまいましたが、

普段から思っている、言いづらいようなことを思う存分に書き出す


というのはとても心がスカッとするものなのですね(意味不明な文章であることに変わりはないのですが)

後半からはただのつまらない持論を書き殴っていただけなので批判の声がたくさんきてしまいそうですが、とりあえず僧侶さんが思っていることはこのようなところです。

いろいろとやらかしてしまった感がありますが、さすがにちょっと恐くなってきましたのでどうかこれが多くの方の目に触れることのないよう祈るばかりです(え

さって、とりあえずここで一度切ろうかと思いますです。

ここまで読んでくださってありがとうございました(>人<;;)